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京大全共闘の感性

 

 さて、次に京大全共闘=過激派の側の文章を見てみよう。彼らもそれなりの「感性」をもっている。次の「詩」を、いったいどんな人が書いたと思われるだろうか?
                      ◇
―ある自由の女神の独白―

教養部は大学の下半身ね。
陽の当たらぬ場所、ゲットー、
むさくるしい恥部ね。
でも同時にだからこそ、
愛と創生の局所。
それを覆いかくしているバリケードは
だからまさにパンティ。
むりやりに、暴力で取り除かれるのは
スカタないけどさ、
自分で脱げって仰言るの、奥田センセ
アライヤダ、エッチ
でも暑くなって来たら、
風通しのいいノーパンティにしようかな。
それは、だアれにも言えない、
わたしのヒミツ。フフフ。
                       ◇
 
みなさんは、この「詩」を読んで、どう感じただろうか。
「下劣」という言葉が、私の脳裏にうかんだ。

「知性がない」。知性なんかなくたっていい。やさしい心があれば。
「下品だ」。下品だっていい。その中にあたたかみや芸術性を感じることもある。
「ユーモアがない」。しかしこれは、困るのである。「詩」の作者は、ユーモアをねらって書いているのだから・・・。

 この「詩」は実は、できの悪い学生が書いたものではない。一九六九年当時、京都大学助教授だった、いいかげん大人である、小針氏が書いたものである。全共闘=過激派系の京大新聞六九年四月七日号に掲載された「学問とは何かーハレンチな真実の叫び」と題する記事の一節なのである。

 みなさん、驚かないか?

 さらにこの感性は、ひとり、小針氏のものではない。京大新聞社がこの記事を選び、京大全共闘が協力して、「京大闘争―京大神話の崩壊」(六九年 三一書房刊)という本に掲載しているのである。だからこれは、全共闘=過激派、少なくとも京大全共闘において共有された特徴的な感性のひとつだと思う。教授・助教授クラスに、なんだか人をおちょくったような文章が見られる。また、妙に気取った文章も見た。
ちなみに小針氏は、「全共闘の諸君に頼まれて、新入生向けのパンフに『知識人犯罪者論』というのを書いた」(同記事)そうだ。私は読んでいないが、小針氏が自分の肩書きでなく、実態を認識しているとすれば、「知識人は犯罪者だ。だが私は肩書きと異なり、知識人ではないので、私は犯罪者ではない」とでも、書いていたのかもしれない。
 この詩の後にはこんな文章が続く。
                       ◇
 「新入生諸君、大学という所が、少しわかりましたか。こういうハレンチでフマジメなことを、ニコリともせずに、大まじめな顔で、ときには奥田総長のようにトボケタ顔でやる所なのです。ぼくの知っているかぎりでは、闘争が始まり、時計台が占拠され、バリケードができて来ると、どの先生も口では「困った、困った」と言いながら、まるで洪水を見物する子供のように、いきいきとはしゃいで、張り切ってかけずり回っておられる。
 マジメ人間だと思っていた同僚のひとりもある時、ポツリとつぶやいた。
 「あのいまわしく、退くつな、正常の状態に戻ることを思うと、ウンザリするな」
 これにはさすがのぼくも驚いた。」
                       ◇

 さすがのみなさんこそ、驚かないか?

 この感性、この雰囲気の中で、多くの学生が殺され、傷つき、誠実な教授がつるし上げられ、職を失っていったのである。

 もし、これまで高橋和巳等の小説などで全共闘=過激派の学生運動について読んだ人は、だいぶ雰囲気が違う、と感じたのではないだろうか。私の書いていることは、直接的体験や身近な見聞にもとづいている。もし、以前に読まれた小説の雰囲気が私のそれと違うなら、その小説はうそを書いている。私も入学まで、全共闘=過激派というのはもっと知的なものかと誤解していた。

 この過激派のユーモアの欠如というのは、その裏返しのように、多くの人々を本気で殺してきた感性をもっている。多くの内ゲバ。血なまぐさい総括(粛清)・・・。 
小針助教授はさらに、「京大闘争―京大神話の崩壊」掲載の六九年二月一九日付の「声明と訴え」の中で次のように書いている。
                       ◇
「国家権力による、暴力の一手独占こそが、まさに「社会の秩序」と呼ばれているものであり、この明白な一点を注視することなしに、感性的に単純に、暴力反対を唱えるのは、ナンセンスと考える。その見地から、民青諸君の「正当防衛」も、全共闘諸君のゲバルトも、機動隊の「実力行使」も暴力に違いなく、いずれがよく、いずれが悪いなどと言うつもりはない。歴史の変動、政治のダイナミズムの中では、これくらいは当り前であって、「遺憾である」とか、悲しげな面もちをするつもりは毛頭ない。」
                       ◇
  国家権力が暴力を独占することについては、ホッブスの社会契約論をはじめとした、いろいろな研究がある。私は、「暴力は民主主義的な手続きで選ばれた政府のみが、犯罪の取り締まりなどにおいて行使せざるをえないもの」と考えている。

 しかし驚いたのは、この平和な日本の社会において、陰惨・凄惨なゲバ棒や、鉄パイプ、火炎瓶等で傷つく大勢の学生を見ていながら、「これくらいは当たり前」といいはなつことのできる、その感性である。あれが「歴史の変動、政治のダイナミズム」とまで認識したのか?
 「平和な日本の社会」ではない、と過激派は即座に反論するだろう。だから暴力が必要だと。しかし、戦争状態にある国家と現代の日本を同列に「平和でない」と認識してしまうのも、やはり彼らの感性の問題であろう。

 最後に、さらにひどい過激派の一文を紹介しよう。「文学部闘争委員会」発行討議資料(1971年秋)には、次の記載がある。
 
 「学友諸君! 秋は発情の季節である。数千年の階級支配への民衆の怨念と憎悪は発情し、二十世紀の妖怪は、ゴジラに復活する。

 四畳半のセンズリは想像力を解き放ち、やさしくも雄々しいゴリラの赤チンポは全世界をかけめぐるのだ。深紅の暴力戦線のお花畑をかいまみるー七一年秋」。


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柴田翔、村上春樹がとらえた「全共闘」

 76年4月、京都大学に入学した。私はタイムマシンに乗ったのだ。76年の京大の学生運動の状況は、70年ごろの東京のそれだったろう。「日本のガラパゴス」と週刊誌に書かれた。ヘルメットに覆面姿の全共闘残党がうじゃうじゃして騒然と建物を占拠していた。自ら暴力を賛美し、人権、言論・思想信条の自由を破壊する全共闘残党たちは、アンビバレントなアジ演説をした。「君たちは『反戦自由の旗手』という言葉にあこがれて来たんだろうがぁ、現在の京都大学にそんなものはない~っ!新たに闘い取らねばならない~っ!」。
 私が直面した問題は、彼らがどこか特殊な場所にいる「過激派」でなく、自分の身近に大衆の支持や容認を得て存在していたということである。

 本稿では、まず暴力を考える手立てとして、全共闘に関するいくつかの引用をしてみよう。

 作家の柴田翔は、全共闘の暴力について、次のように書いている。
                   ◇
「ゲバルトが出始めた時には、その意味が十分判っていなかったという気がする。僕がそのとき考えたことは、ゲバルトは国家の暴力装置に対抗するための対抗暴力として出てきたと理解した。僕はたとえ対抗暴力であってもゲバルトには反対だったけど、現象としてはそう理解していた。ところが大学の教師である自分の目の前で学生たちがゲバ棒を振りまわしているのを見ているうちに、そういう側面もあるけれどもそれはいってみればタテマエと判ってきた。そうではなくて、連中はゲバ棒を持ちたいから持っているんだ、ゲバ棒を振り廻すこと自体によろこびを感じているんだという気がした。これは良い悪いの問題以前に、まさに現実としてそうだということが見えてきた。ところが戦後日本近代、戦後民主主義が前提にしていた人間観の中には、それが含まれていなかった。人間は本来理性的動物であって、暴力衝動などは、その人間観の外へ追いやられていた。」(「全共闘―それは何だったのか」現代の理論社:84年刊:148頁)


 過激派(赤ヘル)が暴力を「楽しんでいた」状況については、最近、京大のネットコミュニティであるkyoto-u.comの談話室で、過激派が悪びれず語っている。代議員大会の定数でっち上げを初め、うそと暴力に関して、彼らに罪悪感はない。次に引用しよう。1977年ごろの回想である。

「あ 2005/11/30(水) 21:11:09
6月14日、すでに選出代議員数は定足数を超えていたが、当日本当に出席してくれるかどうかは、前夜の徹底的な電話オルグにも関わらず、自信がもてなかった。議会制民主主義に大した敬意をもっていない我々は、当然のように出席数の水増し工作の準備をしていた。法経一番教室の入口でいわば二重帳簿を操作していた部隊と会場内との伝令をしていた私は、出席者の実数が「本当に」定足数を超えてしまったときの、文字どおりの「うれしい悲鳴」を今でも忘れることが出来ない。
(中略)

 運動と言うものは、勝つにせよ負けるにせよ、始めるよりも、終わることの方が難しい。「白樺」をめぐる混乱のなかで、もちろん当時の私にはその辺のことはよくわかっていなかったが、暫定的に出された「報復戦貫徹」の方針。処分賛成派の評議員の研究室に夜間、乱暴ロウゼキをはたらいたり、農学部グラウンドで早朝ゴルフの練習に現れた岡本にささやかな「テロ」を加えたりといった、「不毛な」闘いに対して活動家が一人減り、また一人減りする中で、

あまりなにも考えていなかった私は、

 このささやかな「破壊活動」を結構楽しんでいたような気もする。

 だが、運動の高揚期には、えらそうに現れて「断固たる」決意を述べたりしながら、退潮期の「尻ぬぐい」が始まるとさっさと消えて行った人達への恨みはまだ消えていないかもしれない。」(引用終了)

http://www.kyoto-u.com/lounge/lifestyle/html/200511/05110010.html
 
 最後は仲間への恨み言で終わる。

ちなみに、彼らの定足代議員数が「定足数を越える」などというのは、いつもまったくのインチキだった。クラスの過激派は、クラス討論会をすることもなく、選出されることもなく、勝ってに代議員として出席していた。これは日常茶飯事だったが、その実例は、私の「76年京大学生運動の思い出」に記載した。
 彼らの「うそ」「デマ」は徹底していた。

                      ◇
 ある学生や教授が暴力(全共闘=過激派など)を選ぶか、非暴力(民青・ノンポリ等)を選ぶかは、その人の感性に左右されていたと思う。もちろん、客観情勢も大きな要因だ。暴力を振るわなければ人々の不幸を救い得ない場合、暴力も必要だろう。しかし、現代日本のように一定の民主主義が確保されている場合、到底暴力による「革命」が必要とは思えなかった。そして、その客観情勢の認識も、感性に左右されるのだと思う。では、全共闘=過激派はどんな感性をもっていたか?

 ヒット小説「ノルウェイの森」第4章を引用し、村上春樹氏の感性に写った全共闘=過激派を検討してみよう。

                      ◇
 「夏休みのあいだに大学が機動隊の出動を要請し、機動隊はバリケードを叩きつぶし、中に籠っていた学生を全員逮捕した。その当時はどこの大学でも同じようなことをやっていたし、とくに珍しい出来事ではなかった。大学は解体なんてしなかった。大学には大量の資本が投下されているし、そんなものが学生が暴れたくらいで「はい、そうですか」とおとなしく解体されるわけがないのだ。そして大学をバリケード封鎖した連中も本当に大学を解体したいなんて思っていたわけではなかった。彼らは大学という機構のイニシアチブの変更を求めていただけだったし、僕にとってはイニシアチブがどうなるかなんてまったくどうでもいいことだった。だからストが叩きつぶされたところで、とくに何の感慨も持たなかった。
僕は九月になって大学が殆んど廃嘘と化していることを期待して行ってみたのだが、大学はまったくの無傷だった。図書館の本も掠奪されることなく、教授室も破壊しつくされることはなく、学生課の建物も焼け落ちてはいなかった。あいつら一体何してたんだと僕は愕然として思った。
ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。これはどうも変な話だった。何故ならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊しあげたのだ。僕は彼らのところに行って、どうしてストをつづけないで講義に出てくるのか、と訊いてみた。彼らには答えられなかった。答えられるわけがないのだ。彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ。そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方
なかった。そんな下劣な連中が風向きひとつで大声を出したり小さくなったりするのだ。
おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。
僕はしばらくのあいだ講義には出ても出席をとるときには返事をしないことにした。そんなことをしたって何の意味もないことはよくわかっていたけれど、そうでもしないことには気分がわるくて仕方がなかったのだ。」
(中略)
「講義が半分ほど進み、教師が黒板にギリシャ劇の舞台装置の絵を描いているところに、またドアが開いてヘルメットをかぶった学生が二人入ってきた。まるで漫才のコンビみたいな二入組だった。一人はひょろりとして色白で背が高く、もう一入は背が低く丸顔で色が黒く、似合わない髭をのばしていた。背が高い方がアジ・ビラを抱えていた。背の低い方が教師のところに行って、授業の後半を討論にあてたいので了承していただきたい。ギリシャ悲劇よりもっと深刻な問題が現在の世界を覆っているのだと言った。それは要求ではなく、単なる通告だった。ギリシャ悲劇より深刻な問題が現在の世界に存在するとは私には思えないが、何を言っても無駄だろうから好きにしなさい、と教師は言った。そして机のふちをぎゅっとつかんで足を下におろし、杖をとって足をひきずりながら教室を出ていった。
とって足をひきずりながら教室を出ていった。
背の高い学生がビラを配っているあいだ、丸顔の学生が壇上に立って演説をした。ビラにはあのあらゆる事象を単純化する独特の簡潔な書体で「欺隔的総長選挙を粉砕し」「あらたなる全学ストへと全力を結集し」「日帝=産学協同路線に鉄槌を加える」と書いてあった。説は立派だったし、内容にとくに異論はなかったが、文章に説得力がなかった。信頼性もなければ、人の心を駆りたてる力もなかった。丸顔の演説も似たりよったりだった。いつもの古い唄だった。メロディーが同じで、歌詞のてにをはが違うだけだった。この連中の真の敵は国家権力ではなく想像力の欠如だろうと僕は思った。
「出ましょうよ」と緑は言った。
僕は肯いて立ちあがり、二人で教室を出た。出るときに丸顔の方が僕に何か言ったが、何を言ってるのかよくわからなかった。緑は「じゃあね」と言って彼にひらひらと手を振った。
「ねえ、私たち反革命なのかしら?」と教室を出てから緑が僕に言った。「革命が成就したら、私たち電柱に並んで吊されるのかしら?」
「吊される前にできたら昼飯を食べておきたいな」と僕は言った。
                      ◇
 なんという、透きとおった、絹のように肌触りのよい文章だろう。そして村上氏のこの文章が指摘しているものは、全共闘=過激派の「想像力の欠如」だ。私は、それが彼らの感性の根幹だといいたい。ただ、私が大学で見た過激派は、もっともっと暴力的だった。教師に対して、「了承していただきたい」、などという挨拶さえなかった。教師が断れば、さあっ、と鉄パイプを教師の頭に振りかざした。教師も「ギリシャ悲劇より深刻な問題が現在の世界に存在するとは私には思えないが」などというしゃれた言葉を言う余裕はなく、ただ黙って教室の隅に座っていた。

もし天安門に京大赤ヘルがいたら・・・。

 1989年に、中国の民主化運動が人民解放軍の戦車によって蹂躙された「天安門事件」。そのドキュメンタリー映画「天安門」を見た。
 学生たちは、内部対立もありながら、冷静に戦い、非暴力を貫いた。学生の女性総司令官チャン・リンの「なぜ、私が中国人の犠牲にならなければならないの?私は生きたい」という苦悩も、よく理解できた。

 天安門の学生たちの、英雄的な戦い・・・。

 もし、天安門に、「暴力万歳」をいう、暴走族のようなノー天気で子供じみた京大の赤ヘル学生(全共闘)がいたら、もっと、もっと悲惨な大虐殺が起こっていただろう。(ただし、現実に広場の外では中国政府発表で319名の方が亡くなっているそうだ。http://deztec.jp/design/04/03/000202.html)
死者は数百名とも1千名ともいわれる。

 建物に「民コロ殺せ!」などの陰惨な落書きをしまくり、赤ヘルに覆面のチンドンヤのようなカッコウをしてゲバ棒を振り回すチンケで子供じみた全共闘の残党。

 いったいあんな連中のためにぼくの貴重な学生生活を犠牲にしたことに、意味があっただろうか?あまりにくだらないと、思ってしまう。そして、暴力があろうが、言論の自由が破壊されようが、無関心な一般学生に訴えることに、意味があっただろうか?

 あまり、意味はなかった。歴史の一こまともいえない、あまりにもちっぽけな、くだらない暴力沙汰との戦い。でも、それ以外に、生きる道はなかった。

 しかし、そんなことにめげてはいけない。世界は暴力に満ちている。(特に中東・アフリカ)
 
 「暴力反対なんて当たり前。今さらいってもしかたない」という人には、いかに暴力反対が当たり前でないか、この世界で暴力が礼賛されているかを伝えよう。

 「暴力なんてあたりまえ。そんなの気にしてられない」という人には、いかに暴力が根源的な悪であるかを伝えよう。

 「暴力にも一理ある」という人には、人類史上の99%の暴力が、その名目のもとに非道、残忍に行われてきたことを伝えよう。

 学生時代、赤ヘルが騒ぎ出すと、掃除のおばさんが、「また、お母ちゃんのおっぱいが恋しくなったんだねぇ」といっていた。その暴力は、高校、中学と、だんだんと低年齢化し、最近では小学生の暴力が問題になっている。政治だけでなく、教育という側面からも考えなければならないだろう。

 定年後の身。介護を抱えた主夫。大海に降る一滴の雨粒ほどの影響力もないにせよ、それを恥じることなくがんばろうと思う。


(以下参考:朝日 中学生ウイークリー)

中学生の暴力行為が最多
「問題行動」調査 文科省公表 07年度 約20%増の3万6803件
 2007年度の中学生による暴力行為の件数は、前年度より約20%増の3万6803件で、校内暴力のほか学校外での暴力も調べ始めた1997年度以降、過去最多に――。こんな結果が、20日に公表された文部科学省の「問題行動」の調査で分かりました。小学生による暴力行為の件数は5214件、高校生は1万739件で、前年度と比べて小学生は37%、高校生は5%増えて、小中高すべてで過去最多となりました。


 調査は全国の公立小中高校と国立・私立の計約2500校が対象で、学校からの報告を集計しました。暴力行為の内訳でみると、小中高ともに生徒・児童同士の暴力が最も多く、器物の損壊、先生に対する暴力、同じ学校以外の人に対する暴力と続きました。中学生による暴力行為は、生徒同士の暴力が1万8951件(前年度比25%増)、器物の損壊が1万1537件(同21%増)など。文科省によると、同じ学校で同じ生徒がくり返し暴力をふるうケースが増えているといいます。


 一方、中学校でいじめを認知した件数は4万3505件で前年度より7805件減りました。しかし、携帯電話やパソコンなどを使った「ネットいじめ」は3633件で前年度より942件増えました。

 【子どもの問題行動に詳しい愛知教育大学副学長の折出健二さんの話】
常に緊張状態の生徒 感情は言葉で表そう
 最近の学力向上の動きや全国学力調査などで、これまで以上に子どもたちは学力や進路に真剣に向き合い、常に緊張した状態を強いられています。追い込まれたような中で、ちょっとした言葉などにカチンときて、人や物に当たりやすくなるのは不思議ではありません。暴力は、言葉を抑えられた者がとる攻撃行動といえます。生徒同士の暴力が増えているのは、生徒間の交流が減り、自由に物がいえる状況が減っているのかもしれません。イライラしたり、ムカついたりした時、言葉に表してみてほしい。話せる友達がいれば、ありのまま気持ちを出し合ってみてください。『書きなぐりノート』を用意して、自分の感情を吐き出してみるのもいいと思います。

(2008年11月23日)




 

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